開業への道のり 3

 

田舎町の病院から、アメリカでの研修を目指すことになりました。

 

なぜアメリカかというと、実際に研修していないので本当のところは

わかりませんが、研修のシステムができあがっていると感じたから

です。日本では研修病院による差が大きく、同じ産婦人科を選んだ

としても5年目くらいには臨床では大きな差が出てきてしまいます。

10年目くらいには一見同じようになりますが、深みが違ってきます。

 

アメリカは貧富の差が大きいし、民間の医療保険で受診できる

病院が決まっており、貧しい人は研修医のいる病院でしか治療を

受けられません。また、病院の数が少ないので、一病院当たりの

患者数が膨大です。なので、研修医が経験できる症例がとても

豊富なのです。

 

私が見学していた病院では、日本ではオーベン(大体7,8年目

以降の医者、上級の指導医)になってやっと教わるような

腹腔鏡下子宮全摘手術などを研修医がやっていて、衝撃でした。

 

といったわけで、アメリカの産婦人科医は4年間で日本の10年分

くらいの臨床経験を積み、独り立ちしていきます。日本では10年

くらいかけてゆっくり研修を積んでいくので、10年目くらいには

なんとか追いついていく、という仕組みです。

 

さて、アメリカで医者になるにはアメリカの医師免許が必要です。

これをとるにあたってもいろいろありましたが、脱線するので

また別の機会にします。

 

無事、アメリカの医師免許をとり、これがECFMGというものです。

ただ、これだけでは研修は始まりません。研修を受け入れてくれる

病院を自分で探さないといけないのです。日本では、どんなに

ひどい学生でも母校は受け入れてくれますが、こちらは外国人

ですから大変です。

 

まず、面接に行っていいかどうか書類審査がありますが、

100以上応募して、面接に来ていいと返事があったのが7つ8つ。

それもアメリカ全土に散らばっているものだから、実際に

受けられるのは5つ程度です。

 

病院見学も兼ねて、その5つを回りましたがどこも刺激的で

みな輝いて見えるわけです。あとになれば「隣の芝生は青い」

的なところは多分にあったのでしょうが、当時の私はドキドキ

しながら目を輝かせていました。

 

しかし、現実は厳しく、2年続けて受け入れ先が見つかりません

でした。理由は、試験の成績が良くなかったのと、コネが全く

なかったこと。

試験の成績はアメリカ人の平均点くらいで、自分では外国人

であることを考えれば上等と思っていましたが、平均なら

まず外国人はムリ、ずばぬけて優秀か、なんらかのコネがないと

入れない、と知ったのはだいぶ後になってからでした。

アメリカは日本以上に学歴主義、コネ社会だったのです。

一応東大だし、なんて高をくくっていましたが、アメリカ人は

東大なんて知らない。

現実をまざまざと見せつけられました。

 

そんなこんなしている間も、日本に戻れば仕事は山ほど

待っていて、失意のうちに大学病院から地域病院に

出向になりました。

 

そこでの体験が、開業への決意を決定的にしました。