続々と、、、

 

夏から都内、首都圏で少しずつ産婦人科クリニックがオープンします。

まずは金村産婦人科クリニック、入間市、8月5日だそうです。

それから9月中旬くらいでしょうか、成城マタニティクリニック、世田谷。

また私と同じころ、来年春に横須賀、あきる野、でもオープンします。

 

産婦人科医は少なくなってきていますが、新規開業でがんばろう

という仲間も少しずつではありますがいるんです。心強い限りです。

 

開業クリニックだと、病院よりも医師一人当たりの分娩件数は2倍から

3倍くらい取れます。それは比較的合併症などが起きにくいと予想される

妊婦さんを対象とするからです。

 

なので、こうした役割分担が進むと、本当に大変なお産は大きな病院で、

それほどトラブルが起きない分娩はクリニックで、ということになれば

いわゆる「たらい回し」(この言葉、どうにかしてほしいですが)なんかは

なくなってきます。

 

いまは大きな病院でも正常分娩をたくさん扱って、そのせいでハイリスクの

分娩に手が回らないなんて馬鹿なことが起きているんです。独立採算で

っていうことが大きな原因のようですけど。正常分娩は収入源ですから。

 

こうなると政治の問題です。それぞれの職域の中でみんなベストを尽くして

がんばってほしいと思っています。

 

もちろん私も向こう10年は休み返上でがんばるつもり!

 

寿命

 

暑い中ランニングをして、ぷち達成感に浸っていたら

今日テレビでロバートの山本がボクシングのプロテスト

受けるんで毎日10km走っているのを見て、

(まだまだだな。。。)

とがっくりしてしまいました。

今度からは農大生(ご近所です)と競争するか、、、

 

ところで医師の寿命ってどれくらいでしょう。診療科に

よっても違うんでしょうけど、手術やるなら40代がピークで

しょうか。個人差が大いにありそうですが、目が見えなく

なっちゃいますからね。手術で使う糸って細いんです、

すごく。

 

そのほかにも体力、気力、それからテクノロジーについて

いけるかどうか、なんていうのも大きな要素ですよね。

あとは勉強を続けられるかどうか。

 

産婦人科の古い先生は、妊婦さんのおなか触って、

「うーん、元気な赤ちゃんだ」とか言って、見えてないですけどね、

触るだけじゃ。

それから、お産を素手でとりますからね。

素手!

ってかなりびっくりしますよ。血まみれですからね、感染とか

関係ないって感じで。今はみんな手袋しますよ。

 

C型肝炎にかかって死ぬのは勲章だ、みたいなこという

豪傑(?)もいたらしいですけど。逆にうつすでしょ、って。

なんか紙一重ですね。

 

というのもこの前の勉強会で、ある地方の周産期センターの

部長先生が、もう20年目になるんですが、中堅呼ばわりされて

いて驚きました。さすがにその先生もムッとしてましたけど。

 

となると、私はいったい???

時代が違うということで。

 

開業10ヶ月

 

開業10ヶ月たったわけでも、開業10ヶ月前でもありません。

10ヶ月たったクリニックを見に行ってきました。といっても

外側から覗いただけですが。

 

まだ10ヶ月なのでとてもきれい。新築のときに見に行きましたが

そのときとほぼ同じ。日曜の午後でお見舞いの車でしょうか、

駐車場に5台くらい止まっていて賑わいを感じさせました。

 

開業が近づくにつれ、患者さんが集まってくれるかどうか、どうしても

気になってしまいます。いまは産婦人科不足ですから大丈夫、

きちんとした対応を心がけるから大丈夫、などと自己暗示をかけて

います。

 

はやっている産婦人科クリニックのノウハウを教えてもらっても、

それを実現するのはひと。こうやればいいクリニックになる、という

のはわかってもそれをまず自分が実践し、浸透させなければなりません。

そこのノウハウはなかなか言葉で表すのは難しいんです。

 

それができればすべてはやってますもんね。

 

それはそうとちょっと衝撃。

裏の自宅のガレージに止まっていたのは、GT-R。

オープン時はファミリーカーだったような気が。。。

 

CAD

 

今日はちょっとした勉強会に行ってきました。

話題のひとつに、CADがありました。

CAD、シーエーディー、キャド、とも読むそうです。

正式名称はComputer Aided Diagnosis

 

コンピュータによる診断支援、ということですが、

実はもう商用化されているんだそうです。

心電図の自動解析はもうどこでもやっていますが、

それみたいなもので、画像を自動解析してしまおう

というものです。

 

アメリカでは乳がん診断のマンモグラフィで最初に

商用化され、日本では脳のMRIとか乳房は超音波

画像を自動解析する機械を作っています。

 

類似の装置としてはデジカメの人認証とか笑顔認証

なんかの技術がそれなんだそうで、なるほどと思い

ました。

 

まだあくまでAidedっていうことで、補助段階ですが、

いずれ人間の目でも見つけられないようなものでも

機械が見つけちゃうんじゃないか、なんて想像して

しまいました。

 

もうひとつ驚いたのはそれを日本で先頭に立って

推進している人が岐阜大学の先生、ということ。

日本各地で先端技術の開発がされているんですね。

 

ブルーの発光ダイオードは四国でしたし、日本は東京

一極集中とかいってもどこも元気だなあと頼もしく思い

ました。

 

News ZERO

 

News ZEROで「産科崩壊」、と題して特集をやっています。

いままでは患者側の目線で、医療の怠慢を斬る、みたいな

スタンスの報道が多かったですが、こういう医療側の目線を

取り入れた番組が出てくるのは公平になってきたな、と

思っています。

 

それだけ、産科医療が崩壊しつつある、ということもあるで

しょうし、医師患者関係が対等になりつつある、ということも

理由のひとつかもしれません。

 

世田谷ですら、産みたいと思う場所で産めないのです。

選択の余地があるからまだいいのでしょうが、医師人口の

多い23区ないですらそういう状況です。

 

現在勤務中の病院も、とっとと分娩を再開してほしいの

ですが、助産師が集まらないとかいってなかなかはじめようと

しません。ま、それはいいとして。。。

 

医療側の意識と患者さん側の意識の違い、これはなかなか

埋まらないのでしょうけど、産科が一番顕著だからまず産科

から崩壊してきているんでしょうね。いずれ全科に波及して

いく方向なんでしょう。

 

昔はもっと事故が多かったはずなのに、こんなに騒がれて

いなかった。患者さんが泣き寝入りしていただけ、なんでしょう

けど、きちんと説明する時間をとったりするには圧倒的に

マンパワーが足りない。そこのシステムの整備も進んで

いません。

 

 

最前線の医師は、とにかく一生懸命診療して、きちんと説明して

ってことをやるしかありません。少なくとも私は産婦人科医療に

夢も希望も持っていますから、そういうものも伝えられるといいなと

思っています。

 

死と向き合うとき

 

今日は大切な人が亡くなりました、という話を聞きました。

先週のことだそうです。私が何らかの形でかかわった人で

大切でない人などいないのですが、こういうときはいつも

無力感に襲われます。

 

病院で亡くなる場合、ほとんどのケースでは現在の医療

レベルでは助けられないものです。それががんによるもので

あるにしろ、産科の救急によるものであるにしろ、です。

 

そのときわれわれ医者はどのように受けとめるのか。

少なくとも私はどのように受けとめるのか。

 

現在の医療レベルでは無理なんだからしょうがない、とは

なかなか思えないものです。もちろんやりようはないので

とてつもない無力感が襲います。

ただ、そのつど自分を責めたりするととても医療など続け

られるものではありません。

 

なので、最後は人として全力を尽くせたかどうか、が自分を

助ける(あくまで自己満足ですけれども)基準になります。

 

医療はできないけれど、きちんとそばにいられたか、話を

聞いてあげられたか、話しかけ続けることができたか、

そういうことが、自分への救いになります。

 

今回は、私が病院を移ったせいでそういうことができません

でした。なのでいっそう腹のそこに響くような無力感を感じます。

 

 

長い闘病生活、つらいことが多かったろうと思います。いまは

安らかに、と願うばかりです。

心よりご冥福をお祈りいたします。

 

地産地消

 

最近、地元の農家の直売所で野菜を買うの、流行ってます、

うちで。

世田谷も場所によってはまだまだ畑があってうちの近くにも

ちょこちょこあります。規模は小さいので毎回買えるわけでも

ないのですが、安くて大きくてたくさん入っていて、かつ

おいしいので気に入っています。

 

世田谷方面で幅を利かせているサミットは、深夜1時までやって

いて便利なんですが、なんかいまひとつ。ま、便利ですよ、

サミットカードのポイントもけっこう貯まってますけど。

 

ただ、農家の方から直接買っちゃうとスーパーのはなかなか

買えなくなっちゃいます。まだまだ世田谷自給率は低いですし、

そうそう上がるとは考えにくいですが、地元貢献にもなるし

できるだけ地域で作った食べ物を利用していこうと思っています。

 

さすがにお米はないかなぁ。。。

 

 

調布でもなるべく地元の食材を使っておいしい食事を出したいと

考えています。あくまで構想ですけどね。

世田谷よりはきっといろんな食べ物があるんじゃないかな、と

期待しています。多くの人が集まる(と期待している)場所なので

医療だけでなくいろんな方法で地域貢献できるといいな、と

うちの企画部長が考え中。

 

いいアイデア、募集しています。

 

開業への道のり 12

 

夏が嫌いな私はもうへとへとです。唯一いい点はジョギング

したときに簡単に体重が落ちること。しかしのどが渇きすぎて

グロッキーになりますが。。。

 

話は前後しますが、9月末に都からの開業許可が下りました。

都庁の役人は態度が大きくて、許可してやる、って感じなんです

よね。別に役人本人の努力でも何でもないはずなんですけど、

権力を持つ側に立つと相手が下でに出るもんだから、ついつい

えらそうになってしまうんでしょう。

きっと個人的に飲み屋とかで会えば結構いい人だったりするんで

しょうけどね。

 

まいど、ノムさんありがとうございます。

20代くらいの若い役人に一生懸命頭下げてくれました。

 

われわれ医者も、若いころから先生と呼ばれ、えらそうになって

いく人もいるから気をつけないと、です。他山の石、ですね。

 

 

許可が下りますと、設計が本格的に始まります。私の希望は、

ちょっとおしゃれな最近の美術館風。モノトーンでガラスを多く

使って、そこに入るとすーっと落ち着く感じ。

産婦人科はお姫様がいるお城みたいなところも結構あって、

そういうのが人気だったりします。それに比べると、やや冷たい

印象があるかもしれません。

 

が、温かみはスタッフの人柄で出します!!!

妊婦さん以外のかたも気安く入れるように、という願いをこめて

います。お城だとご年配の方は入りづらいですから。

 

構造はいたってシンプルに使いやすくしてもらいました。

内装の雰囲気で楽しんでいただいて、あくまで機能的に、

それが患者さんのためでもあるし、スタッフが効率よく働ける

クリニックになると思っています。

 

そうは言っても大きな病院で働いてばかりいて、クリニック

ではアルバイトくらいしかしていなかったので、なかなか

イメージが難しく、設計士さん、ノムさんのアドバイスをもらい

ながら、試行錯誤。でも設計士さんはセンスがあって、本当に

いいひとで自分の主張を押し通すわけでもなくいい提案をして

くれました。

 

どんな建物にしようかと、いろんな建築や本、雑誌、大手設計

事務所のホームページなど見ましたが、図面上のイメージでは

それに勝るとも劣らないでき具合。才能は隠れたところにもある

んだ、と実感しました。

 

患者さんのため?

 

今日はもうすく

「Tomorrow」

です。Tomorrowは医療系ドラマ。ついついなんとなく

見てしまいます。リアリティがないな、と思うところから

あ、ここまで作ってくれているんだ、と思うところまで

いろいろです。

 

「Tomorrow」は医療とお金の問題をけっこうリアルに

描いているので興味深いです。

不採算部門の小児科、

訴訟ばかりの産婦人科、

そんなものは切り捨てて当然、という意見は意外と

医療関係者のなかでも支持されているんです。

 

医者も自分の身を削って働くのは当然、という意識から

生活の糧として働いているだけ、という意識に変わり

つつあります。それを医者の意識が低い、教育が悪い

という人もいます。また、患者さんから感謝されなくなって

きたのだから医者の側もビジネスライクになって当然、

という人もいます。

 

どっちも正しい面はあるし、お互いにそういう方向に

向かっていっている面もあるんだろうと思います。

ただ、個人的にはビジネスライクになると純粋につまらない

ので、思いっきり感情移入しながら医療を続けてきましたし

これからもそのようにしていきたいと思っています。

 

患者さんのために!、という意識が強すぎると、トラブルが

あったときに、せっかくここまでがんばったのに、みたいな

感情が出てきてしまいますから。

 

自分のためと患者さんのため、うまくバランスが取れて

いくようにがんばります。

 

夏休み

 

学校では今日から夏休みでしょうか。

電車通勤していたころ、といっても研修医のほんのはじめの

何ヶ月かでしたが夏休みに入ると電車がすいて嬉しかった

のを思い出します。

 

そういえば医者になるとき先輩に

「産婦人科はオンオフがはっきりしているから自宅から通っても

大丈夫」

なんて言われました。そんな言葉を信じた私がバカでした。

 

4ヶ月くらいがんばって自宅から1時間かけて通っていましたが、

帰りはタクシーの時間。安月給からタクシー代で結構消えて

いきました。自宅に住んでいたからよかったですが、お金よりも

時間と体力がもったいなくて病院近くに引っ越しました。

 

それから病院が変わるたびに引っ越しを繰り返し、計算すると

7年で8回の引越しをする羽目に。。。

そのうち3回は気分転換のためだけでしたけれども。

 

おかげで引っ越し貧乏ですが、引越し上手にもなりました。

結論は

「お金をかければ楽に引っ越せる」

当たり前、ですね。