死と向き合うとき

|

 

今日は大切な人が亡くなりました、という話を聞きました。

先週のことだそうです。私が何らかの形でかかわった人で

大切でない人などいないのですが、こういうときはいつも

無力感に襲われます。

 

病院で亡くなる場合、ほとんどのケースでは現在の医療

レベルでは助けられないものです。それががんによるもので

あるにしろ、産科の救急によるものであるにしろ、です。

 

そのときわれわれ医者はどのように受けとめるのか。

少なくとも私はどのように受けとめるのか。

 

現在の医療レベルでは無理なんだからしょうがない、とは

なかなか思えないものです。もちろんやりようはないので

とてつもない無力感が襲います。

ただ、そのつど自分を責めたりするととても医療など続け

られるものではありません。

 

なので、最後は人として全力を尽くせたかどうか、が自分を

助ける(あくまで自己満足ですけれども)基準になります。

 

医療はできないけれど、きちんとそばにいられたか、話を

聞いてあげられたか、話しかけ続けることができたか、

そういうことが、自分への救いになります。

 

今回は、私が病院を移ったせいでそういうことができません

でした。なのでいっそう腹のそこに響くような無力感を感じます。

 

 

長い闘病生活、つらいことが多かったろうと思います。いまは

安らかに、と願うばかりです。

心よりご冥福をお祈りいたします。

 

このブログ記事について

このページは、金子英介が2008年7月24日 00:14に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「地産地消」です。

次のブログ記事は「News ZERO」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。