アレルギー?

 

昨日は久しぶりに爆睡です。10時間は寝ました。

でも寝すぎて今日もだるかったです。

 

火曜日は恒例で、ある病院で当直しています。

医者の当直部屋っていうのは大体6畳くらいで、

ベッドとテレビがあって、っていう感じですが、

そこの病院は空いている病室を当直のために

あけてくれています。

 

特別室みたいでだいぶ広くてとても快適なのですが、

普段泊まる人がいないせいか、なんかほこりっぽくて

部屋に入ると咳と鼻水が急に出てきます。

しかもなんかワキガっぽいニオイもして、なかなか

寝付けないんです。

その病院の人には言えませんけど。。。

 

おかげでおとといは寝不足、昨日は爆睡、といった

具合です。

 

今日は緊急オペもあったりして、今週は走れてません。

明日こそ。

 

内科医と眼科医

 

大学時代の同級生と飲みに行ってきました。

ひとりは内科医、もう一人は眼科医です。大学に

入ってからのつきあいなので、もう15年くらいに

なります。

 

ひとりは厳しい不妊治療の末にもうすぐパパになり

もうひとりはつい先日離婚しました。

一見ビミョーですが、そこは学生時代からの友人

です。言いたい放題言い合って、離婚した彼も

元気に帰って行きました。

 

おたがい、新しい環境を迎える、という点では同じ

です。それをどういうふうに捉えるか、という問題で

離婚して輝きを増す人もいますもんね、竹内結子

とか。個人的な感想ですけども。

外から見て幸せかどうかは決められません。

 

もうすぐパパになる彼には、ぜひとも元気な赤ちゃんが

生まれてほしいし、離婚した彼にはこれをステップに

また新しいステージに進んでほしいと思っています。

 

がんばれ!MMK!

 

開業への道のり 4

 

今日から梅雨入りだそうです。梅雨が終われば夏ですね。

私はクーラージャンキーなので、家ではチャンネル争い

ならぬ設定温度争いが激しくなります。

少しはエコにしないといけませんね。。。

 

さて、出向病院とは現在勤務中の病院です。

当時常勤医は4人で1年間に約500のお産と200件強の

婦人科手術をしていました。もちろん非常勤の助けも

来てもらってはいましたので、原則は週に平日1回と

週末は月に2回程度の当直で済むはずです。

 

ところが、部長のユキオ先生は何事もみんなでやろう

という人で、とにかくほとんど毎日9時10時まで残ります。

陣痛が始まっている人がいれば生まれるまで残るから

です。いろんな経験をさせよう、ということだったのだと

思いますが、ホントに多くの経験をさせてもらいました。

 

ユキオ先生は一種変人で、ほとんど家に帰りません。

酔っ払って病院のロビーで寝ているなんてことは日常

茶飯事です。

しかしひとたびスイッチが入るとゴッドハンドがうなりを

あげ、なかなか生まれないと思った赤ちゃんがすーっと

生まれてくるのを何度も経験しました。

 

ある当直の日でした。夜中の12時くらいから分娩が一向に

すすまなくなり、促進剤を使っても生まれません。お母さんが

小さく、赤ちゃんはやや大きめでしたので微妙にきつかった

のです。しかも回旋異常と言って赤ちゃんの向きも反対でした。

でも赤ちゃんはだいぶ下がってきているし、心音はちょくちょく

下がるし、で、鉗子分娩を試みました。

 

鉗子をかけ、いざえいっと引っ張るとびくともしません。

もう一度試みるも、やはりびくともしません。鉗子で引っ張った

せいで赤ちゃんの心音はぐっと下がりました。

(これは参った、、、帝王切開かな)

と思ったのは午前3時。

(いやいや、ひょっとしてユキオ先生がいるかも)

と思い院内PHSをかけると

「んーーー、もしもし」

(これは神の声か??)

 

午前3時はユキオ先生のいつもの起床時間。

分娩室にあらわれた瞬間の安堵感は忘れられません。

一緒に鉗子を引っ張ってくれ、なんとかかんとかお産に

なりました。

 

お産に携わるなら、あるいは医療に携わるなら、

いざという時に備えていつでもスタンバイしている、

ということがとても大事なのだ、と私は理解しました。

 

長時間勤務は集中力を落とし医療ミスを招くから、

交代制で分業する、という考えが主流になってきて

います。しかし、病院にいながらきちんと休息をとって

いればいつでもいい体調でいられる、常に患者さんの

そばにいるということが重要なんだ、ということです。

 

「それなら、病院と家が一緒だったら家にいながら患者

さんのそばにいられるではないか!」

 

と思ったわけです。とすれば、自分の病院を作るしかない、

じゃあ開業だ、というわけです。

しかし、わが医局、わが母校は開業医になる人が少なく

どうしたらいいか、皆目見当がつかないのです。

 

開業への道のり 3

 

田舎町の病院から、アメリカでの研修を目指すことになりました。

 

なぜアメリカかというと、実際に研修していないので本当のところは

わかりませんが、研修のシステムができあがっていると感じたから

です。日本では研修病院による差が大きく、同じ産婦人科を選んだ

としても5年目くらいには臨床では大きな差が出てきてしまいます。

10年目くらいには一見同じようになりますが、深みが違ってきます。

 

アメリカは貧富の差が大きいし、民間の医療保険で受診できる

病院が決まっており、貧しい人は研修医のいる病院でしか治療を

受けられません。また、病院の数が少ないので、一病院当たりの

患者数が膨大です。なので、研修医が経験できる症例がとても

豊富なのです。

 

私が見学していた病院では、日本ではオーベン(大体7,8年目

以降の医者、上級の指導医)になってやっと教わるような

腹腔鏡下子宮全摘手術などを研修医がやっていて、衝撃でした。

 

といったわけで、アメリカの産婦人科医は4年間で日本の10年分

くらいの臨床経験を積み、独り立ちしていきます。日本では10年

くらいかけてゆっくり研修を積んでいくので、10年目くらいには

なんとか追いついていく、という仕組みです。

 

さて、アメリカで医者になるにはアメリカの医師免許が必要です。

これをとるにあたってもいろいろありましたが、脱線するので

また別の機会にします。

 

無事、アメリカの医師免許をとり、これがECFMGというものです。

ただ、これだけでは研修は始まりません。研修を受け入れてくれる

病院を自分で探さないといけないのです。日本では、どんなに

ひどい学生でも母校は受け入れてくれますが、こちらは外国人

ですから大変です。

 

まず、面接に行っていいかどうか書類審査がありますが、

100以上応募して、面接に来ていいと返事があったのが7つ8つ。

それもアメリカ全土に散らばっているものだから、実際に

受けられるのは5つ程度です。

 

病院見学も兼ねて、その5つを回りましたがどこも刺激的で

みな輝いて見えるわけです。あとになれば「隣の芝生は青い」

的なところは多分にあったのでしょうが、当時の私はドキドキ

しながら目を輝かせていました。

 

しかし、現実は厳しく、2年続けて受け入れ先が見つかりません

でした。理由は、試験の成績が良くなかったのと、コネが全く

なかったこと。

試験の成績はアメリカ人の平均点くらいで、自分では外国人

であることを考えれば上等と思っていましたが、平均なら

まず外国人はムリ、ずばぬけて優秀か、なんらかのコネがないと

入れない、と知ったのはだいぶ後になってからでした。

アメリカは日本以上に学歴主義、コネ社会だったのです。

一応東大だし、なんて高をくくっていましたが、アメリカ人は

東大なんて知らない。

現実をまざまざと見せつけられました。

 

そんなこんなしている間も、日本に戻れば仕事は山ほど

待っていて、失意のうちに大学病院から地域病院に

出向になりました。

 

そこでの体験が、開業への決意を決定的にしました。

京王線が地下に

 

昨日、オーナーさんと設計士さんと打ち合わせがあって

またひとつオープンに向けて前進しました。

来年4月開業をなんとか遅らせたくないので、ほっとして

います。このまま順調にいくと、7月中旬には着工できそう

です。

 

打ち合わせの席で聞いた話ですが、京王線が地下にもぐる

とのことでした。近隣の方々は常識ですよね。。。

工事しているのは知っていましたが、上に上がるのかと思って

いたら、地下にもぐるとは。。。

 

地下にもぐるとなおさら広々として、行き来が楽になりそうです。

今は京王線で南北が分断されていますから、南側からはすごく

来づらいし、車は渋滞するし、ですが、これでアクセスがよくなると

便利になってますますいい街になりそうで、楽しみです。

 

仙川には安藤忠雄ストリートがあって、布田にもなにかできると

うれしいですが。まずはスタバとかかな。

 

開業への道のり 2

 

さて、続きです。

 

2年目から4年目にかけての約1年半、はじめて田舎町に

住むとともに、本格的な研修開始でした。

医局の大学病院にいる間はほとんど医療をしませんので

ようやく医者になった気分です。

 

実力はまったく伴っていなくても、人手不足ですから容赦なく

当直など仕事は回ってきます。うまくいくこと、いかないこと

たくさんありますが、どうあってもゼンコー先生の罵声が

飛んできました。

 

「研修医の分際で!」

080527_2246~01.JPGのサムネール画像

って言うのが口癖で、まあ怖い、怖い。

考え方まで聞いてくるものだから、

とにかく勉強しておかないといけない

わけです。医者としての基礎を作って

くれましたが、おかげでゼンコー先生に

出会うとその後必ず下痢するように

なりました。。。

 

医療だけならいいんですが、指導は生活にも及びました。

同じ宿舎に住んでいるものだから、

「最近、布団ほしてないな」

とか

「燃えるごみの日に燃えないごみが入っていた」

とか

怖すぎます。。。

 

それはともかく、医者としてゼンコー先生に文句を言われない

ようになろう、と思いました。

 

「それには医局内でちまちま研修しててもだめだ」

「よし、アメリカに行こう!」

とあまり根拠のない思い込みでしたが、留学への道を

模索し始めることになります。

 

夏日

 

最高気温27℃、この時期にしては珍しいのかどうか

知りませんが、今年初めて冷房をつけました。

 

こんな暑い日ですが、暑い時間帯に走りました。

距離も少し長く、ペースも少し上げたせいか、体内が

熱くなって夜になってもほてっています。

080518_0829~01.JPG

 

走り慣れてくるとこの熱さが

自然に取れてきますが、それ

まではやっぱりつらい。

 

お気に入りのコースは馬が

横切るのどかなコースですが

暑くなると、馬にたかる虫と糞のにおいが結構気に

なります。今日は近所の高校生の部活と一緒になり、

フレッシュな気分で走れました。

 

もちろんiPodとともにですが、村上春樹はいまだに

MDなんですってね。MDが出た時は画期的でしたが

もううちにはありません。

帰り道、外来看護師のトクさんと遭遇。勤務時間中に

走っているのがばれてしまいました。

 

本日の走行距離 7km  5月計 34km

開業への道のり 1

今日はなぜか眠れません。

いつでもどこでも寝られるのが産婦人科医の

必須条件のはずなんですが。

 

さて、来年の4月に開業が迫ってきました。

ということで、開業を決心するまでの経過を

書いてみます。長くなりそう、、ということで

1、です。

 

 

医者になるまであまり病院にお世話になって

いなかったので、はじめイメージと実際の医者の

仕事のギャップがけっこうありました。

イメージは近所のお医者さん、しかなかったので

戸惑いまくりでしたが、研修医になると次から次から

仕事があってそんなことはすぐに忘れてしまいました。

 

研修医って、なんか悲惨な時代です。

病院にいるすべての人間の下に位置しているので、

すべての人に頼まれごとをする感じです。医者の中

で一番下なのは当然としても、看護婦さんから薬剤師

さん、果ては患者さんからも便利使いされてしまいます。

「ちょっと水汲んできて」みたいな。

 

どんな仕事でもそうなんでしょうけど、研修医の場合

責任だけはあるから怖くてしょうがないんです。

人の命にかかわることだからその怖さをとるためには

とにかく知識と技術を磨くしかない。

なのでとにかく猛勉強です。興味があるとかないとか関係

ないです、このころは。なんで産婦人科を選んだのかも

よくわからなくなっていました。

 

そこに現れたのが、はじめの師匠、ゼンコー先生です。

 

n01.jpgつづきはまた次回で。

当直合宿?

今週は、金曜の夜から月曜の朝まで当直です。

当直病院が自宅からちょっと遠いので、何回も

通うのは面倒で一回来たらたくさんやって帰る

ことにしています。

 

産科にしろ婦人科にしろいろんなことが起こって

仕事が楽しいのと、前に担当していた患者さんに

会えるので、けっこう気に入ってます。

 

問題は、家族に会えないことと、運動不足。

5月の走行距離が27kmから一向に増えない。。。

 

こんな働き方を許してくれる家族には感謝感謝です。

 

顔の見える医療

 

最近は電子カルテの導入で、医師がパソコン画面ばっかり

見ながら診察をし、患者さんの顔を見ない、なんていう話も

あります。

 

パソコンに慣れた30代以下の以下の医師に、そんな人は

いませんが、やはり50代、60代では苦労が多いようです。

 

顔を見ないといえば、医師同士も病院が違うと名前だけは

知っているけども。。。ということがほとんどです。近くの病院に

いても書類上の付き合いばかり。

 

ということで、昨日は世田谷・目黒の産婦人科医師の集まりに

行ってきました。病院、開業医を問わず20人くらい集まって

結局日ごろのグチを言い合うみたいな感じになってしまいましたが、

皆さんの顔が見えて安心、かつ心強く感じました。

 

おじいちゃんクラスの先生から研修医の先生まで来て、でも

産婦人科を盛り上げよう、という気持ちはみんな共通していて

いい気分で酔っ払いました。

 

調布でも早く仲間にとけこんでいきたいな、と思っています。

 

 

おかげで今日は声が出ない。。。

外来が心配。。。