お知らせ: 2008年5月アーカイブ

 

田舎町の病院から、アメリカでの研修を目指すことになりました。

 

なぜアメリカかというと、実際に研修していないので本当のところは

わかりませんが、研修のシステムができあがっていると感じたから

です。日本では研修病院による差が大きく、同じ産婦人科を選んだ

としても5年目くらいには臨床では大きな差が出てきてしまいます。

10年目くらいには一見同じようになりますが、深みが違ってきます。

 

アメリカは貧富の差が大きいし、民間の医療保険で受診できる

病院が決まっており、貧しい人は研修医のいる病院でしか治療を

受けられません。また、病院の数が少ないので、一病院当たりの

患者数が膨大です。なので、研修医が経験できる症例がとても

豊富なのです。

 

私が見学していた病院では、日本ではオーベン(大体7,8年目

以降の医者、上級の指導医)になってやっと教わるような

腹腔鏡下子宮全摘手術などを研修医がやっていて、衝撃でした。

 

といったわけで、アメリカの産婦人科医は4年間で日本の10年分

くらいの臨床経験を積み、独り立ちしていきます。日本では10年

くらいかけてゆっくり研修を積んでいくので、10年目くらいには

なんとか追いついていく、という仕組みです。

 

さて、アメリカで医者になるにはアメリカの医師免許が必要です。

これをとるにあたってもいろいろありましたが、脱線するので

また別の機会にします。

 

無事、アメリカの医師免許をとり、これがECFMGというものです。

ただ、これだけでは研修は始まりません。研修を受け入れてくれる

病院を自分で探さないといけないのです。日本では、どんなに

ひどい学生でも母校は受け入れてくれますが、こちらは外国人

ですから大変です。

 

まず、面接に行っていいかどうか書類審査がありますが、

100以上応募して、面接に来ていいと返事があったのが7つ8つ。

それもアメリカ全土に散らばっているものだから、実際に

受けられるのは5つ程度です。

 

病院見学も兼ねて、その5つを回りましたがどこも刺激的で

みな輝いて見えるわけです。あとになれば「隣の芝生は青い」

的なところは多分にあったのでしょうが、当時の私はドキドキ

しながら目を輝かせていました。

 

しかし、現実は厳しく、2年続けて受け入れ先が見つかりません

でした。理由は、試験の成績が良くなかったのと、コネが全く

なかったこと。

試験の成績はアメリカ人の平均点くらいで、自分では外国人

であることを考えれば上等と思っていましたが、平均なら

まず外国人はムリ、ずばぬけて優秀か、なんらかのコネがないと

入れない、と知ったのはだいぶ後になってからでした。

アメリカは日本以上に学歴主義、コネ社会だったのです。

一応東大だし、なんて高をくくっていましたが、アメリカ人は

東大なんて知らない。

現実をまざまざと見せつけられました。

 

そんなこんなしている間も、日本に戻れば仕事は山ほど

待っていて、失意のうちに大学病院から地域病院に

出向になりました。

 

そこでの体験が、開業への決意を決定的にしました。

 

昨日、オーナーさんと設計士さんと打ち合わせがあって

またひとつオープンに向けて前進しました。

来年4月開業をなんとか遅らせたくないので、ほっとして

います。このまま順調にいくと、7月中旬には着工できそう

です。

 

打ち合わせの席で聞いた話ですが、京王線が地下にもぐる

とのことでした。近隣の方々は常識ですよね。。。

工事しているのは知っていましたが、上に上がるのかと思って

いたら、地下にもぐるとは。。。

 

地下にもぐるとなおさら広々として、行き来が楽になりそうです。

今は京王線で南北が分断されていますから、南側からはすごく

来づらいし、車は渋滞するし、ですが、これでアクセスがよくなると

便利になってますますいい街になりそうで、楽しみです。

 

仙川には安藤忠雄ストリートがあって、布田にもなにかできると

うれしいですが。まずはスタバとかかな。

 

 

さて、続きです。

 

2年目から4年目にかけての約1年半、はじめて田舎町に

住むとともに、本格的な研修開始でした。

医局の大学病院にいる間はほとんど医療をしませんので

ようやく医者になった気分です。

 

実力はまったく伴っていなくても、人手不足ですから容赦なく

当直など仕事は回ってきます。うまくいくこと、いかないこと

たくさんありますが、どうあってもゼンコー先生の罵声が

飛んできました。

 

「研修医の分際で!」

080527_2246~01.JPGのサムネール画像

って言うのが口癖で、まあ怖い、怖い。

考え方まで聞いてくるものだから、

とにかく勉強しておかないといけない

わけです。医者としての基礎を作って

くれましたが、おかげでゼンコー先生に

出会うとその後必ず下痢するように

なりました。。。

 

医療だけならいいんですが、指導は生活にも及びました。

同じ宿舎に住んでいるものだから、

「最近、布団ほしてないな」

とか

「燃えるごみの日に燃えないごみが入っていた」

とか

怖すぎます。。。

 

それはともかく、医者としてゼンコー先生に文句を言われない

ようになろう、と思いました。

 

「それには医局内でちまちま研修しててもだめだ」

「よし、アメリカに行こう!」

とあまり根拠のない思い込みでしたが、留学への道を

模索し始めることになります。

 

今日はなぜか眠れません。

いつでもどこでも寝られるのが産婦人科医の

必須条件のはずなんですが。

 

さて、来年の4月に開業が迫ってきました。

ということで、開業を決心するまでの経過を

書いてみます。長くなりそう、、ということで

1、です。

 

 

医者になるまであまり病院にお世話になって

いなかったので、はじめイメージと実際の医者の

仕事のギャップがけっこうありました。

イメージは近所のお医者さん、しかなかったので

戸惑いまくりでしたが、研修医になると次から次から

仕事があってそんなことはすぐに忘れてしまいました。

 

研修医って、なんか悲惨な時代です。

病院にいるすべての人間の下に位置しているので、

すべての人に頼まれごとをする感じです。医者の中

で一番下なのは当然としても、看護婦さんから薬剤師

さん、果ては患者さんからも便利使いされてしまいます。

「ちょっと水汲んできて」みたいな。

 

どんな仕事でもそうなんでしょうけど、研修医の場合

責任だけはあるから怖くてしょうがないんです。

人の命にかかわることだからその怖さをとるためには

とにかく知識と技術を磨くしかない。

なのでとにかく猛勉強です。興味があるとかないとか関係

ないです、このころは。なんで産婦人科を選んだのかも

よくわからなくなっていました。

 

そこに現れたのが、はじめの師匠、ゼンコー先生です。

 

n01.jpgつづきはまた次回で。

さっそく、質問をいただきました。

 

スタッフについてですが、まだまだ先のことでもあり

本格的な説明、研修などは秋ごろからになります。

 

産婦人科に勤めたことがあれば、業務内容は問題

ないはずです。また経験がなくてもまったくかまいま

せん。重要なのはキモチです。

 

患者さんに対する気持ち、医療に対する気持ち、

仕事に対する気持ち、これを共有できれば今までの

経験などほとんど関係ありません。

 

そういう気持ちでオープンしますので、クリニックに

通おうかな、と思っている方々には安心して快適な

医療を提供できると思います。

 

いま、設計の建築確認の最中です。許可が下りれば

早速着工、ということになります。

これが、いつ許可になるのかよくわからないんです。

anehaさんがテキトーなことするから...。

5ヶ月も開業が遅れた先生もいるくらいです。

今のままなら来年の4月には間に合いますので、

順調に行ってくれることを願うばかりです。

 

001.pngのサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像クリニック開院予定まで11ヶ月になりました。

院長こと金子英介が、
どんな人間なのか、
どんな医師なのか、
どんなクリニックを作ろうとしているのか、
ブログを通して皆様に伝わればと思っています。

医療と関係のないことも書いていきますので、気軽にお付き合いください。
ご自身の体のこと、クリニックのこと、または私のことなど、質問があればどんどんしてくださいね。
よろしくお願いします。

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