お知らせ: 2008年6月アーカイブ

 

久々に続きです。

さて、タカヤ先生にノムさんを紹介され、開業がぐっと現実味を

帯びてきました。

 

ノムさん 「まず開業するにあたり先生の理念を言葉にしてください」

ワタシ 「はぃ」

 

そう言われるとなかなか恥ずかしい。こうしてブログに書いてますけど

理想とか夢とかって、人に説明するとなるとどうも青臭くなって恥ずかしい。

やっぱり理想はなかなか実現しないので、日々理想と現実の折り合いを

つけながら診療しています。だからちょっと無理かなって思う部分も

あるんですけど、でもやっぱり理想は捨てられない。でもそれを他人に

説明するとなると、うまく伝わるか、とか、思いっきり否定されるんじゃ

ないか、とか。。。

 

しかし、他人に言わなければ誰も理解してくれない。しかも開業するなら

同じ気持ちの人と働きたい。そこで、勇気をもって、、、

 

ワタシ 「自分の力が及ぶ限り、自分で診た患者さんはずっと診たいんですっ!

      病院ではしたくてもしてあげられないことをしたいんですっ!」

ノムさん 「あ、そんなんでいいです」

ワタシ 「どうも。。。」(あ、何でもよかったわけですか。。。)

 

ま、言葉にしておくってことが大事なことだそうです。

そこで生まれたスローガンが

"女性のトータルライフをサポートする"

です。ただでさえ通いにくい産婦人科、快適な空間とおもてなし、ベストの

医療を提供できれば、女性が気軽に自分の体の手入れをし、そして社会で

活躍する、そんなお手伝いができれば、という気持ちを込めました。

健全な精神は健全な肉体に宿る、ですね。

 

続いて、開業予定地を探す作業に入ります。

すでにマーケティングはできているので、っていうか、東京の市部では

どこでも分娩施設が足りないので、どこでもいいっていう感じでした。

あとは私の希望する大きさの土地があるかどうか、そして、連携する

高次医療機関があるかどうか、これが問題です。

 

建築許可

|

 

080608_0833~01.JPGのサムネール画像のサムネール画像

またまた前進です。

設計図面の確認申請が終了、無事許可された

とのことです。申請から約2ヶ月、思ったよりは

早い許可でした。

一番ひどいときは3ヶ月から4ヶ月とかかかったり

していたみたいですから、よかったです。設計士さん、オーナーさんの

ご尽力のたまものです。ありがとうございます。

 

いまは、既存の建物を取り壊していて、整備が済めばすぐに着工と

なります。いよいよ本格始動、です。

 

こちらは医療器械の選定に入りつつあるところですが、同時に業務の

流れを徐々に決めていく作業に入ります。いろんな病院、クリニックの

マニュアルを参考に、一番快適なものを作っていこうと考えています。

わくわくしちゃいますね。

 

 

080608_0833~01.JPGのサムネール画像のサムネール画像ちょうど今から1年半ほど前、キー先生と一緒に

近隣の開業医の先生との会合に行きました。

そこには5人ほどの開業医の先生が来ていましたが、

みなさん、そろいもそろって人当たりがソフト。

一見してすごく親しみやすい先生たちです。

(ああ、さすが、開業するとぱっと見ただけで人を安心させるなぁ)

なんて思いました。

 

その中でもいちばん最近に開業したタカヤ先生にちょこちょこと走り寄り、

ワタシ 「先生、どうやって開業したんですか?興味あるんです」

タカヤ先生 「あ、それならいい人がいるからぜひ紹介させてください」

ということになり、

数日後、さっそくお誘いのお手紙がきました。

 

指定の場所に行くと、雰囲気のある料亭風の場所。こちらはジーンズに

Tシャツでいかにも場違いな感じ。

なんとなく居心地悪い感じで待っていると、タカヤ先生が現れました。

タカヤ先生「お待たせしました」

つづいて、後ろの男性が腰を90度に曲げ

「お世話になりますっ!」

KYな(ちょっと古い)感じのでっかい声で叫びました。

 

度肝を抜かれるワタシ。。。 その人物がノムさんでした。

さらに、、、

ノムさん 「先生は練馬の出身ですよね」

ワタシ 「そうですが。。。」

ノムさん 「学生のころマラソンを走ってましたよね」

ワタシ 「はい。。。」

ノムさん 「サスケにも出てましたね」

ワタシ 「。。。」 

初対面なのに、なぜか私のプロフィールを知っています。

(何者??、ちょっと怖っ。。。)

 

つぎに、ばぁっと東京西部の地図を広げるとなんと出生数と産婦人科の

所在地と取り扱い分娩数が書かれています。それをもとに、ここなら

需要がある、ここでも大丈夫、などと教えてくれます。

さらに、月に何件分娩を扱ったら、何人助産師さんが必要で、収支は

これくらいで、、、と具体的な話が次から次から出てきます。

 

自信たっぷりの話し振りと、正確な(と思われる)情報にワタシの心は

がっちりと鷲づかみにされてしまいました。そしてあっという間に開業が

現実味を帯びてきました。

 

竣工??

|

080616_2159~01.JPG 080616_2303~01.JPG

 

 

 

 

完成予想の模型ができました。正面はガラス張りで

かなりカッコいい。。。

色味はちょっと変わりますが雰囲気はこんな感じに

なると嬉しいです。

私の苦心の作です、、、ウソです。

 

設計士さんが作ってくれました。この設計士さん、

今までの作品もかなりオシャレで、いいものができ

あがると期待しています。

 

コンセプトはsimple & comfortable

美術館、図書館のような落ち着きとシティホテルの

ような快適さを取り入れ、決してゴージャスに走る

ことなく快適な医療環境を目指しています。

 

お楽しみに!

 

 

080608_0833~01.JPGのサムネール画像

 

 

 

 

 

関東中央病院での仕事もだんだん落ち着いてきました。

外来、入院、手術、なんとなくペースが決まってきています。

まだまだ余裕があるので、物足りないのですが。。。

 

しかし、、、

今日のジリさん、頼もしく見えました。

ジリさん「今日ちょっと忙しいんだけどね、もう、行けますよ」

ワタシ 「ほんとですか!?」

ジリさん「まだ内緒よ、おおっぴらにはまだよ」

 

でも表情が違いました、今日のジリさんは。

いよいよ、始まります、関中でのお産が。

私の執念が(というほどのものでもないですかね)

もうすぐ実りそうです。

 

 

9月に世田谷で成城マタニティクリニックが開院します。

まずはスタッフが続々集まっているそうです。

 

院長先生は関東中央病院で毎週水曜日外来に来てくれて

いますが、とても親切丁寧で穏やかな先生です。

分娩希望の患者さんも、検診にいらしています。

 

まだ建物は覆いがかかっていて全貌は見えませんが、

おしゃれな建物ができそうです。完成の暁には患者さんも

ぐんと増えるのではないかと思っています。

 

世田谷もお産を扱う場所が少なくて、新しい施設ができるのは

何十年ぶりっていうレベルだそうです。

 

自分の半年後を想像しちゃいますので、なんかどきどきします。

早く地域の皆さんに浸透するよう、ささやかながら応援しています。

 

 

しばらくぶりの続きです。

 

常に患者さんのそばにいよう、公私混同しよう、という発想で、

開業への決意を固めました。

 

どこで開業するのか、開業には何が必要なのか、お金はいくら

必要なのか、まったくわかりません。

 

そこでまずは一刻も早く開業できるだけの医療技術と知識を

つけようと思いました。ユキオ先生からも手術のやり方や、

異常分娩の見分け方、逆子分娩、鉗子分娩などたくさん

教わりましたが、さらにひとり立ちを目指して小平市の病院に

異動しました。

 

そこでは、第3の師匠、キー先生に出会います。

キー先生は良くも悪くも放任主義、こちらの思うとおりに

やらせてくれますが、最後の後始末までこちらでやるように

ということで、ひとり立ちするには抜群の環境でした。

 

婦人科手術の最高難度、広汎子宮全摘という手術が

あります。当時、手順は覚えているもののまだ自分ひとりで

できるものではありません。手術は手順さえ覚えればいいって

ものではなく、それぞれの患者さんによって微妙に癒着して

いたり、解剖に個人差があったりしますので、突発事態に十分に

対応できないといけません。

 

最初のうちは第一助手でサポートしてくれましたが、そのうち

第二助手にみずから下がってしまいました。第一助手をうまく

使うのも術者の力量ですから、そこを見てくれているのだな、

と思いきや、手術中ほとんど眠っています。

 

太っ腹、大胆、テキトー大臣、無関心、どれが当てはまるのかは

いまだによくわかりません。

 

一事が万事そんな感じですから、いやでも独立心が身につきます。

ちなみにキー先生と若いころに一緒に働いた先生たちはみんな

出世しています。きっと早いうちから独立心が身についたからでは

ないかと思っています。

そういう意味では、名伯楽、とも言えるでしょうか。

ん、言えるんですか?

 

そんな中、医療技術や知識だけでなく、当然患者さんとのトラブル

でも一人で対処しなければならず、だいぶ鍛えられました。

ときには冷たい視線を向けられ、ときには罵声を浴びせられながら

学びました。

 

嘘をつかないこと

悪いことは悪いと認めること

常に患者さんの目線を忘れないこと

 

こんなこと当たり前なんですが、すごーく難しかったです。

今でも毎日肝に銘じていることです。

 

そしてまた、日々勉強は続けなければいけないこと、

そして勉強は人に教わるのではなく、自分で学ぶもの

だということも実感しました。

 

そんなこんなで毎日を忙しく過ごしているうちに、いよいよ

ノムさんとの出会いがありました。

 

 

 

今日から梅雨入りだそうです。梅雨が終われば夏ですね。

私はクーラージャンキーなので、家ではチャンネル争い

ならぬ設定温度争いが激しくなります。

少しはエコにしないといけませんね。。。

 

さて、出向病院とは現在勤務中の病院です。

当時常勤医は4人で1年間に約500のお産と200件強の

婦人科手術をしていました。もちろん非常勤の助けも

来てもらってはいましたので、原則は週に平日1回と

週末は月に2回程度の当直で済むはずです。

 

ところが、部長のユキオ先生は何事もみんなでやろう

という人で、とにかくほとんど毎日9時10時まで残ります。

陣痛が始まっている人がいれば生まれるまで残るから

です。いろんな経験をさせよう、ということだったのだと

思いますが、ホントに多くの経験をさせてもらいました。

 

ユキオ先生は一種変人で、ほとんど家に帰りません。

酔っ払って病院のロビーで寝ているなんてことは日常

茶飯事です。

しかしひとたびスイッチが入るとゴッドハンドがうなりを

あげ、なかなか生まれないと思った赤ちゃんがすーっと

生まれてくるのを何度も経験しました。

 

ある当直の日でした。夜中の12時くらいから分娩が一向に

すすまなくなり、促進剤を使っても生まれません。お母さんが

小さく、赤ちゃんはやや大きめでしたので微妙にきつかった

のです。しかも回旋異常と言って赤ちゃんの向きも反対でした。

でも赤ちゃんはだいぶ下がってきているし、心音はちょくちょく

下がるし、で、鉗子分娩を試みました。

 

鉗子をかけ、いざえいっと引っ張るとびくともしません。

もう一度試みるも、やはりびくともしません。鉗子で引っ張った

せいで赤ちゃんの心音はぐっと下がりました。

(これは参った、、、帝王切開かな)

と思ったのは午前3時。

(いやいや、ひょっとしてユキオ先生がいるかも)

と思い院内PHSをかけると

「んーーー、もしもし」

(これは神の声か??)

 

午前3時はユキオ先生のいつもの起床時間。

分娩室にあらわれた瞬間の安堵感は忘れられません。

一緒に鉗子を引っ張ってくれ、なんとかかんとかお産に

なりました。

 

お産に携わるなら、あるいは医療に携わるなら、

いざという時に備えていつでもスタンバイしている、

ということがとても大事なのだ、と私は理解しました。

 

長時間勤務は集中力を落とし医療ミスを招くから、

交代制で分業する、という考えが主流になってきて

います。しかし、病院にいながらきちんと休息をとって

いればいつでもいい体調でいられる、常に患者さんの

そばにいるということが重要なんだ、ということです。

 

「それなら、病院と家が一緒だったら家にいながら患者

さんのそばにいられるではないか!」

 

と思ったわけです。とすれば、自分の病院を作るしかない、

じゃあ開業だ、というわけです。

しかし、わが医局、わが母校は開業医になる人が少なく

どうしたらいいか、皆目見当がつかないのです。

 

カテゴリ

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.1

このアーカイブについて

このページには、2008年6月以降に書かれたブログ記事のうちお知らせカテゴリに属しているものが含まれています。

前のアーカイブはお知らせ: 2008年5月です。

次のアーカイブはお知らせ: 2008年7月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。