しばらくぶりの続きです。
常に患者さんのそばにいよう、公私混同しよう、という発想で、
開業への決意を固めました。
どこで開業するのか、開業には何が必要なのか、お金はいくら
必要なのか、まったくわかりません。
そこでまずは一刻も早く開業できるだけの医療技術と知識を
つけようと思いました。ユキオ先生からも手術のやり方や、
異常分娩の見分け方、逆子分娩、鉗子分娩などたくさん
教わりましたが、さらにひとり立ちを目指して小平市の病院に
異動しました。
そこでは、第3の師匠、キー先生に出会います。
キー先生は良くも悪くも放任主義、こちらの思うとおりに
やらせてくれますが、最後の後始末までこちらでやるように
ということで、ひとり立ちするには抜群の環境でした。
婦人科手術の最高難度、広汎子宮全摘という手術が
あります。当時、手順は覚えているもののまだ自分ひとりで
できるものではありません。手術は手順さえ覚えればいいって
ものではなく、それぞれの患者さんによって微妙に癒着して
いたり、解剖に個人差があったりしますので、突発事態に十分に
対応できないといけません。
最初のうちは第一助手でサポートしてくれましたが、そのうち
第二助手にみずから下がってしまいました。第一助手をうまく
使うのも術者の力量ですから、そこを見てくれているのだな、
と思いきや、手術中ほとんど眠っています。
太っ腹、大胆、テキトー大臣、無関心、どれが当てはまるのかは
いまだによくわかりません。
一事が万事そんな感じですから、いやでも独立心が身につきます。
ちなみにキー先生と若いころに一緒に働いた先生たちはみんな
出世しています。きっと早いうちから独立心が身についたからでは
ないかと思っています。
そういう意味では、名伯楽、とも言えるでしょうか。
ん、言えるんですか?
そんな中、医療技術や知識だけでなく、当然患者さんとのトラブル
でも一人で対処しなければならず、だいぶ鍛えられました。
ときには冷たい視線を向けられ、ときには罵声を浴びせられながら
学びました。
嘘をつかないこと
悪いことは悪いと認めること
常に患者さんの目線を忘れないこと
こんなこと当たり前なんですが、すごーく難しかったです。
今でも毎日肝に銘じていることです。
そしてまた、日々勉強は続けなければいけないこと、
そして勉強は人に教わるのではなく、自分で学ぶもの
だということも実感しました。
そんなこんなで毎日を忙しく過ごしているうちに、いよいよ
ノムさんとの出会いがありました。